ペルシア語のことわざ・慣用句(8)
賢い敵は、無知な友より勝る
「دشمن دانا به از نادان دوست」
(Doshman-e dānā beh az nādān-e dūst)
皆さんは、人の「忠告」をどのように聞き入れていますか?
物事の状況と、忠告を伝える人との関係にも寄りますが、大抵の場合、自分の考えに反する他人の意見は耳に痛いもの。
例として、こんなシチュエーションを思い浮かべてみましょう。
あなたには、最近新しくできた友人Aさんがいます。
Aさんとは話題の共通点が多く、一緒にいると楽しい。物知りで様々なことを教えてくれるし、あなたの意見を常に肯定してくれます。
Aさんとは本当に気が合うので、これからずっと親しくしていきたいと思っています。
そこに、古くから親しい友人Bさんが、こんなことを言って来ました:
「おまえ最近、あいつとよく一緒にいるじゃん? 俺、あいつのこと、なーんか気に入らないんだよな。おまえが良くない影響を受けなきゃいいけど・・・。」
Bさんの言葉に対し、あなたはこう思うでしょう:
「Bはなんであんな風に思うんだろう? Aと俺が急に仲良くなったから、ヤキモチを焼いているんだな。」
ある時、Aさんは「実は、すごく金利の良い投資案件があってね」と、投資の話を持ちかけてきます。あなたは「あの物知りのAさんが言うなら」と、その案件についてよく知らないまま、貯金の一部を投じます。
Bさんにも教えてあげようと思い、その「おいしい話」を伝えると:
「その話、大丈夫か?怪しいんじゃないか?すぐ辞めた方がいいよ」
という答えが返ってきます。
Aさんが進める案件なら間違いない、と思っているあなたは、こう思います:
「Bは、ドリームキラーだ。それに、チャンスがあってもそれを掴めないヤツだ。」
そうこうするうち、Aさんの投資案件が詐欺だったことが判明。
Aさん自身が投資について、口ほどには知識がなかったことが明らかになります。
さらに、Aさんの被害額も自分より大きく、彼を責められなくなってしまいます。
お金は取り返せず、裁判等で訴える対象も術もなし。泣き寝入りするより外ありません。
この時初めて、Bさんの意見が正しかったことが分かり、あなたは彼の忠告を聞き入れなかったことを後悔します。
ここで、ペルシア語の諺を一つ:
「دشمن دانا به از نادان دوست 」
(Doshman-e dānā beh az nādān-e dūst)
=賢い敵は、無知な友より勝る
上記のたとえ話では、Bさんは一時的にあなたの「敵」となってしまいました。
しかし、異なる意見を言われようとも「真の親友」とは、あなたのことを本当に考えてくれる人。
あなたがどうなっても構わないなら、わざわざ嫌われるかもしれない忠告など、人はしないものですよね。
孔子さんはこのような言葉を残しています:
「良薬は口に苦し。友の忠言は耳に痛いが役に立つ」
これに似たペルシア語の諺もあります。
「دوست آن است که بگریاند دشمن آن است که بخنداند」
(Dūst ān ast ke begeryānad doshman ān ast ke bekhandānad)
=友の忠言は耳に逆らえども行いに利あり、敵の言葉に浮かれようと行いに利なし
(訳:山田 稔『ペルシア語 口語辞典』より)
13世紀の神秘主義者・ペルシアの詩人、ルーミー(モウラーナー)も、「熊と仲良くなった男」の物語の中で、同じような意味の句を辛辣に詠み切っています。この句も、現代ペルシア語話者がよく引用する句なので、以下に記しておきます。
「دوستی ابله بتر از دشمنی است」
(Dūstī-ye ablah batar az doshmanī ast)
=(直訳)愚者の友情は、敵心よりも悪いものだ
※「بتر」(batar)=「بد تر」(bad tar)、もっと悪い
★「熊と仲良くなった男」の物語は、こちらの記事にてお読みいただけます。
(この記事は、旧Kimiyaのサイトにて2023.5.30に書かれたものです)